痛いと集中もやる気も落ちるのは、弱さではなく脳の仕様。だから一流は痛みを”消す”のではなく、痛みと「苦しみ」を切り分けて隣に置く。その精神的な付き合い方を、剣道四段の視点と科学・思想から解き明かします。
✅ 本記事で得られること
- 痛いと集中力・モチベーションが落ちる「本当の理由」(根性論ではなく脳の仕組み)
- 一流アスリートが実践する、痛みと付き合うための精神的な5つの技術
- 「逃げられない痛み」を抱えたまま、前を向き続けるための考え方
👤 こんな方におすすめ
- 痛みに集中力とやる気を奪われ、本来の力を出せないと感じるアスリート
- 通院やケアをしても、痛みから逃げられないことに苦しんでいる人
- 根性で我慢する以外の、痛みとの向き合い方を探している人
痛みが出ると、集中もやる気も一気に落ちて…。これって私の気持ちが弱いんでしょうか?
それ、弱さじゃないよ。痛みは「注意を奪う」ように作られてる。集中が切れるのは、むしろ正常なんだ。
でも、アスリートは痛みから逃げられません。結局は、我慢して耐えるしかないんですか?
我慢とは違うんだ。強い選手は痛みと「苦しみ」を切り分けて付き合ってる。その技術を、以下で見ていこう。
痛いと、集中もやる気も消える ── それは「弱さ」じゃない
痛いと集中力ややる気が落ちるのは、気持ちが弱いから?
痛いと集中もやる気も削られる──それは意志が弱いからではなく、脳の仕様だ。痛みは危険を知らせるため、注意を強制的に奪うようにできている。やる気が落ちるのも、体を守ろうとする正常な反応。まず「自分が弱いせい」という思い込みを、ここで一度おろしてほしい。
- 弱さではなく仕様:痛みは注意を強制的に奪うよう進化している。集中が切れるのは正常な反応
- やる気の低下も防御:痛みは『動きを止めろ』と離脱を促す。気力が落ちるのも体の正常な働き
- 扱う範囲:この記事が向き合うのは努力・反復による痛み。損傷を示す痛みは別もの
痛みが出ると、何も手につかなくなる。集中は途切れ、さっきまであったやる気がすっと引いていく。そして「こんなことで気持ちが折れる自分は弱い」と、自分を責めてしまう。
でも、それは違う。集中が切れるのは、あなたの心が弱いからではない。痛みは、危険から身を守るために注意を強制的に奪うようにできている。痛いのに平気で集中できるほうが、生き物としてはむしろ危うい。
やる気が落ちるのも同じだ。痛みは「これ以上動くな」と体に伝える信号でもある。気力がしぼむのは、体が自分を守ろうとしている証拠であって、サボりではない。
アスリートは、痛みから完全には逃げられない。通院しても、痛みの出にくい練習を工夫しても、競技を続けるかぎり痛みはついてくる。だからこそ大事なのは、痛みを「消す」ことではなく、付き合い方を知ることだ。
⚠ この記事が扱う痛み・扱わない痛み
ここで向き合うのは、稽古や走り込みで生じる努力・反復による痛みだ。一方で、鋭い・ずっと続く・腫れる・しびれる・夜も痛んで眠れない・尿が異常に濃いといった痛みは、体が鳴らす本物の警報。これらは我慢の対象ではなく、練習を止めて医療機関で診てもらうサインだ。
では、そもそも痛みとは何なのか。付き合い方を考える前に、その正体から見ていこう。
そもそも痛みとは何か ──「脳が鳴らす警報」だった
痛みの強さは、体の傷の大きさと同じ?
痛みは、傷の大きさをそのまま映すメーターではない。脳が「どれだけ危険か」を判断して作り出す出力だ。だから同じ刺激でも、注意や意味づけ、感情によって強さが変わる。ある実験では、まったく同じ刺激でも「危険」を示す合図とともに与えると、痛みが強く感じられた。
私たちはつい、「痛み=体の傷の大きさ」だと思っている。だが現代の痛みの科学が示すのは、もっと不思議な事実だ。痛みは、傷からの信号をもとに、脳が「これはどれくらい危険か」を読んで作り出している。
ある実験では、手に同じ冷たさの刺激を与えながら、赤い光と青い光を見せ分けた。赤い光──つまり「危険」を連想させる合図のときのほうが、人は痛みを強く感じた。刺激の強さは同じなのに、だ。
戦場の記録にも、同じことが表れている。重い傷を負った兵士が、同じ程度のけがをした一般の患者より痛み止めを欲しがらないことがあった。兵士にとって負傷は「前線を離れられる」という意味も持っていた。傷の「意味」が、痛みの感じ方に関係していた可能性がある。
これは「痛みは気のせい」という話ではない。痛みは本物だ。ただ、その強さは心の状態で本当に変わる。だからこそ、心の使い方が痛みに効く余地がある。その第一歩が、痛みと「苦しみ」を分けて考えることだ。
痛み と 苦しみ は、別物だった ──「二本目の矢」
痛みと苦しみは、同じではないの?
古い仏教の教えに、「二本の矢」という喩えがある。一本目の矢は、避けられない痛みそのもの。二本目の矢は、「なぜ自分が」という嘆きや抵抗──つまり心が自分で足してしまう苦しみだ。痛みは選べないが、二本目を撃つかどうかは選べる。ここが付き合い方の核心になる。
- 一本目の矢:体に走る痛みそのもの。生きているかぎり避けられない
- 二本目の矢:『なぜ自分が』という嘆き・抵抗・不安。心が自分で足してしまう苦しみ
- 減らせるのは二本目:一本目は受け止めるしかないが、二本目は自分の向き合い方で減らせる
痛みと、苦しみ。ふだんは同じものに思える。でも、分けて考えると景色が変わる。
初期仏教に、こんな喩えがある。人が矢を射られると痛い。それが一本目の矢だ。ところが多くの人は、そこに「なぜ自分が」「もう耐えられない」という嘆きや恐れを重ねる。これが二本目の矢。一本目は外から飛んでくるが、二本目は自分で自分に撃っている。
痛い稽古の最中に「なんで自分だけこんな目に」と思った瞬間、私たちはもう二本目を撃っている。痛み(一本目)は変えられなくても、その上に乗せる苦しみ(二本目)は、自分の向き合い方しだいで減らせる。
| 一本目の矢(痛み) | 二本目の矢(苦しみ) | |
|---|---|---|
| 正体 | 体に走る感覚そのもの | 「なぜ自分が」という嘆き・抵抗・不安 |
| 出どころ | 外から飛んでくる | 自分で自分に撃っている |
| 減らせるか | 受け止めるしかない | 向き合い方で減らせる |
おもしろいのは、まったく違う時代と文化が、同じ一点にたどり着いていることだ。古代ローマのストア派の哲学者エピクテトスは「人を乱すのは出来事ではなく、出来事についての判断だ」と書いた。強制収容所を生き延びた精神科医フランクルも「なぜ生きるかを知る者は、ほとんどあらゆる状況に耐えられる」と記している。
痛みそのものは消せない。けれど、その痛みに「どんな意味を与えるか」は選べる。では、一流のアスリートは、この二本目の矢をどうやって手放しているのか。
一流は痛みと「闘わない」── 付き合う5つの技術
痛みと付き合う、具体的な技術はあるの?
強い選手は、痛みを根性で「消す」のではなく、付き合う技術を持っている。意味づけを変える、注意を振り替える、抑え込まず受け入れる、自分にかける言葉を変える、痛みを情報として読む──この5つだ。いずれも研究で裏づけがあるが、多くは実験室レベルで個人差もある。過信せず、自分に合うものを探したい。
痛みに強い選手は、歯を食いしばって痛みを握りつぶしているわけではない。むしろ逆だ。痛みと正面から「闘う」のをやめ、上手に付き合う技術を身につけている。代表的な5つを見ていこう。
① 意味づけを変える ──「これは効いている」
同じ痛みでも、「体を壊している痛み」と思うか「鍛えられている証拠」と思うかで、つらさが変わる。ある実験では、腕に与えた痛みを「体に良い反応だ」と捉え直すよう促された人は、痛みへの耐性が上がった。しかも、その効果には脳内の鎮痛のしくみが関わっていた。気の持ちようは、ただの精神論ではなく、体の反応を伴っている。
⚠ これは「努力の痛み」だけの話
「これは良い痛みだ」と意味づけしてよいのは、努力や疲労による痛みに限る。鋭い痛み・関節そのものの痛み・しびれを「良い痛み」と思い込むのは危険だ。損傷のサインに前向きなラベルを貼ってはいけない。
② 注意は「そらす」ではなく「振り替える」
痛いとき、音楽や景色で気を紛らわせる。これは練習の序盤や軽い強度では有効で、つらさをやわらげてくれる。
ところが、強度が上がって本当に苦しくなると、気そらしは効きにくくなる。体からの信号が強すぎて、注意をよそへ向けきれないからだ。そこで一流がやっているのは、痛みから逃げることではなく、注意を意味のある対象へ振り替えること。フォーム、呼吸のリズム、次の一歩──痛みの隣に置けるものへ意識を移す。実際、別の課題に集中しているとき、脳の痛みを抑えるしくみが働き、同じ刺激でも痛みが弱まることが確かめられている。
| 場面 | 向いている注意の使い方 |
|---|---|
| 軽い〜中くらいの強度・練習序盤 | 音楽・景色・会話で気をそらす。楽に、長く続けられる |
| 高い強度・試合の正念場 | 気そらしは効きにくい。フォーム・呼吸・次の一歩へ注意を振り替える |
③ 抑え込むより「受け入れる」
意外かもしれないが、痛みを力ずくで押し殺そうとすると、かえって早く音を上げてしまう。冷たい水に手を入れ続ける実験では、痛みを「抑え込もう」とした人ほど早く音を上げ、痛みを「あるものとして受け入れた」人のほうが長く耐えられた。「痛い。それでも、もう一歩進む」と抵抗を手放すほうが、結果として粘れる。ただしこれは実験室の短時間の痛みでの知見で、競技中の痛みや個人差は、また別に考える必要がある。
④ 自分にかける言葉を変える
苦しい場面で自分にどんな言葉をかけるかで、粘りは変わる。前向きな短い言葉をかける練習をした人は、限界までの時間が延び、同じきつさをより楽に感じたという報告がある。自転車のヤンス・フォイトは、脚が悲鳴を上げる場面で自分に「黙れ、脚。言うことを聞け」と言い聞かせたことで知られる。あらかじめ「いける」「あと一本」と決めた一言を、その瞬間に使う。それだけで体は少し動く。
⑤ 痛みを「敵」ではなく「計器」として読む
マラソンのキプチョゲ選手は、長い距離走について「心を強くし、その痛みを尊重させてくれる」と語っている。痛みを敵として叩きつぶすのではなく、いまどれだけ進んでいるかを示す計器として読む。「止まれ」の命令ではなく、「ペースとフォームを点検せよ」という体からの伝言として受け取る。ただし、計器が”異常値”(前章の警報=鋭い痛みやしびれ)を示したときは、迷わず従う。
5つの技術はどれも、痛みを消す魔法ではない。それでも、痛い日にやる気そのものが出ないとき、どう立て直せばいいのか。次はそこを見ていこう。
痛い日に、集中とモチベーションをどう取り戻すか
痛くてやる気が出ない日は、どう立て直せばいい?
やる気が出ないのは、限界を脳が「きつさの感覚」と「やる理由」の釣り合いで決めているから。痛い日は前者が重くなる。だからまず自己否定をおろし、痛みと苦しみを切り分け、自分がこれをやる理由を思い出す。完璧を目指さず、小さく動き出す。この順番が立て直しの土台になる。
「痛くて集中もやる気も出ない」。この状態を、もう少し科学の言葉で見てみよう。
人がいつ「もう無理」と感じるかは、筋肉が完全に尽きたかどうかだけでは決まらない。「いまどれだけきついと感じているか」と「それでもやる理由がどれだけあるか」の釣り合いで、脳が判断している、という考え方がある。ある実験では、体は疲れていないのに頭を使う作業を長くしただけで、その後の持久運動が早くへばった。体ではなく「きつさの感じ方」が増したことが原因だった。
痛みは、この「きつさの感じ方」を水増しする。だから痛い日は、同じ練習でも一段つらく感じ、やる気が出ない。これは気合い不足ではなく、天秤がきつさの側へ傾いているだけだ。
立て直し方は、天秤の反対側に重りを足すこと。「自分はなぜこれをやっているのか」という理由──勝ちたい相手、なりたい自分、続けると決めた約束──を思い出す。痛い日に支えになるのは、ごほうびで自分を釣ることより、やる理由(意味)を思い出すことかもしれない。ただしこれは研究そのものの結論ではなく、そこから考えた一つの見方だ。そのうえで、痛み(一本目)と「もう無理だ」という苦しみ(二本目)を切り分け、完璧を狙わず小さく動き出す。
ここまでは、痛みとの付き合い方を「技術」として見てきた。最後に、その付き合い方を一段深い「構え」にしてくれる、武道の知恵に触れておきたい。
痛みを「師」とする ── 剣道が教える、痛みの隣に立つこと
痛みと長く付き合う心構えは、どこから学べる?
痛みと長く付き合う「構え」は、武道の知恵が教えてくれる。全日本剣道連盟の理念は、剣道を「剣の理法の修錬による人間形成の道」と定義する。痛い稽古は敵ではなく、己に克つための師。ただし、痛みを神聖化しすぎないことも同じくらい大切にされてきた。痛みの隣に静かに立つ、という構えだ。
- 人間形成の道:剣道の理念では、勝敗そのものより、稽古を通して自分を磨くことを目的に置く
- 痛みは師:痛い稽古は敵ではなく、己を知り己に克つための師として向き合える
- 美化しすぎない:『痛みからしか得られない』という思い込みは戒められてきた。痛みの神格化はしない
痛みとの付き合い方を、技術より一段深い「生き方の構え」にしてくれるのが、武道の知恵だ。
全日本剣道連盟が定めた剣道の理念は、剣道を「剣の理法の修錬による人間形成の道」と表す。勝ち負けそのものが最終目的ではなく、稽古を通して自分という人間を磨くことに置かれている。この見方に立つと、痛い稽古は乗り越えるべき敵ではなく、己を知り、己に克つための師になる。
ただし、ここには大切な歯止めもある。武道の世界では昔から、「痛みや苦行からしか良いものは生まれない」という考え方を、行き過ぎとして戒めてきた。痛みを神聖化し、我慢そのものを目的にしてしまえば、それはただ体を壊す道になる。痛みを師とすることと、痛みを美化することは違う。
痛みを敵として叩きつぶすのでもなく、神様のようにあがめるのでもなく、ただ静かに隣に立つ。逃げられないものと分かったうえで、それでも自分の歩幅で前に進む。強い選手の落ち着きは、たぶんここから来ている。
私自身は、痛みとどう付き合ってきたか
ここからは、ひとりの覆面アスリートとしての、私自身の考えを書いておきたい。
走り込みを続けていると、足や腰に張りが出たり、つま先が痛くなってくる。私はこの痛みを、フォームを見直す合図として受け取るようにしている。というより、痛みが出ると、いやでも見直さざるをえない。正しいフォームで力をかけられていないと、負担が一部の筋肉に偏り、そこが痛みだす。体がねじれていたり、力の向きに正対できないまま負荷をかけ続けると、決まった場所が痛む。だから、ギアを変えたり、調整を見直したりして、安定して力を出せる構えを探す。痛みは、それを教えてくれるサインだ。
筋肉痛も同じだ。いつもと違う種目を取り入れると、これまで痛くならなかった場所に筋肉痛が出ることがある。その刺激が、体に新しい使い方を覚えさせてくれることもある。
とはいえ正直に言うと、私はとても痛がりで、ちょっとした痛みでも集中ややる気が落ちる。心拍が限界まで上がる練習や、筋肉が燃えるような追い込みの最中、「逃げ出したい」と思う場面では、自分ひとりの力では越えきれないと感じる。そんなとき支えになるのは、周りの存在だ。一緒に走る選手、友達や仲間、近くからの応援。すぐそばのライバルを意識することも、短い勝負どころでは力になる。
もうひとつ、私が大事にしているのは、いっそ「諦める」ことだ。「今日はとことんきついぞ」と気合いで握りしめるより、「今日はもうダメだ、いっそ諦めよう」と力を抜くほうが、最後まで体が動くことが意外と多い。下手に「少しでも楽をしよう」と小細工をすると、かえって辛さに意識を持っていかれて、よけいに苦しくなる。きつい日は「今日はこういう日だ」と割り切ってしまう。ここで言う「諦める」は、練習そのものを投げ出すことではなく、気負いを手放して最後までやり切るための工夫だ。
これは、はっきりした根拠のない昔ながらの練習や、理不尽に思える練習にこそ効く構えでもある。辛いうえに競技への効果も薄いとなると、心は二重に削られる。そういうときこそ、意味を求めすぎず「今日はこういう日」と思うほうがいい。
もちろん、「辛い練習こそが成果になる」と安直に考えるのが危ういのは、言うまでもない。それでも、あの練習を耐えられた、という記憶が、別の日の心の支えになることもまた本当だ。
私の結論はこうだ。競技で成長しようとするかぎり、辛さと痛みは避けて通れない。その痛みを、フォームやギア、体の使い方を見直す合図として読むのは、とても役に立つ。けれど、精神の面で、痛みや辛さそのものに意味を持たせすぎると──「この苦しみには意味があるはずだ」と握りしめすぎると──かえって、目標や上達の方向を見失いやすい。痛みに、必要以上の意味を背負わせないこと。それが、痛みと長く付き合うコツだと思っている。

正直に言うと、私は痛みが本当に苦手だ。剣道で防具のない所を打たれた痛み、稽古後の筋肉痛、長距離での脚の痛み──どれも嫌でならなかったし、痛むと集中も気力も持っていかれた。でも「逃げられない」と腹をくくってからは、消そうと闘うより、隣に置くほうが自分には合うと思うようになった。痛みは相変わらず苦手だけど、向き合い方は少しずつ変えていける。
※あくまで個人の経験であり、万人に当てはまるものではありません。続く痛みや強い痛みは、我慢せず医療機関にご相談ください。
ここまでの全体像を、最後に一枚にまとめておこう。
まとめ ── 痛みは、消すのではなく「隣に置く」
痛いと集中もやる気も落ちるのは、弱さではなく脳の仕様だった。痛みは傷の大きさそのものではなく、脳が作る警報。だから心の使い方で、その重さは変えられる。鍵は、避けられない痛み(一本目の矢)に、嘆きや抵抗という二本目の矢を足さないことだ。
| 技術 | ひとことで言うと |
|---|---|
| ① 意味づけを変える | 「効いている証拠」と捉え直す(※努力の痛み限定) |
| ② 注意を振り替える | 高強度ほど、フォーム・呼吸・次の一歩へ意識を移す |
| ③ 受け入れる | 押し殺すより「あるもの」として受けるほうが粘れる |
| ④ 言葉を変える | 決めておいた短い一言を、その瞬間に自分へかける |
| ⑤ 計器として読む | 「止まれ」でなく「点検せよ」の信号として受け取る |
⚠ 「付き合う」と「無視する」は違う
ここまでの技術は、すべて努力・反復による痛みとの付き合い方だ。鋭い・ずっと続く・腫れる・しびれる・夜間痛・血尿などは、止めて受診するサイン。そして注意したいのは、痛みを抑え込むのが上手になりすぎると、本物の損傷のサインにも気づきにくくなること。受け入れることは、危険な痛みまで無視することではない。
痛みから逃げられないのは、つらい現実だ。でも、消そうと闘い続けるより、隣に置いて付き合うほうが、心はずっと軽くなる。痛みの隣に静かに立てるようになったとき、あなたの競技はきっと、もう一段強くなっている。

私は、痛みは消そうとするほど苦しくなるタイプ。だから今は「闘わずに隣に置く」派です。あなたは苦しい場面が来たとき、①「いける」と一言、自分に声をかけて踏ん張る / ②呼吸やフォームに意識を集中して乗り越える、どっちが多いですか? よかったらコメントで教えてください。
戦う君は、ひとりじゃない。アスリートRPG。
よくある質問
Q. 痛みを我慢して練習を続けても大丈夫ですか?
A. 努力や疲労による痛み(筋肉痛など)は、付き合いながら続けてよい場面が多いです。ただし、鋭い・どんどん悪化する・夜も痛む・しびれる・腫れる痛みは、損傷のサインの可能性があります。これらは我慢の対象ではなく、練習を止めて医療機関で確かめてください。
Q. 痛みに強い人は、生まれつき特別なんですか?
A. 痛みを感じ始める”敏感さ”自体は大きく変わりにくい一方、痛みに「耐える力」はトレーニングで高められると報告されています。アスリートは一般の人より痛みに耐えやすい傾向があり、付き合い方は後から身につけられる部分があると考えられます(生まれつきか後天的かは、まだ研究の途上です)。
Q. 音楽で気をそらすのは、痛みに効きますか?
A. 軽い〜中くらいの強度では有効で、つらさをやわらげてくれます。一方、強度が上がって本当に苦しい場面では効きにくくなります。そういうときは、気をそらすより、フォームや呼吸へ注意を「振り替える」ほうが向いています。
Q. マインドフルネスや呼吸法は、痛みに効きますか?
A. 効く場面はありますが、万能ではありません。短時間の実験では痛みがやわらいだ報告がある一方、長く続く痛みへの効果は小さい・確実性が高くないとする研究もあります。「合えば助けになる道具のひとつ」くらいに捉え、過度に期待しないのが現実的です。
Q. やる気が出ない日は、休むべきですか?
A. 損傷のサイン(前述の鋭い痛みなど)があるなら、休んで確かめるのが正解です。そうでなく「気力が出ない」だけなら、自分を責める前に「やる理由」を思い出し、小さく動き出すと戻ることがあります。とはいえ、疲労が長く抜けないなら休養も立派な戦略です。
参考文献・出典
出典リスト(11件)— タップで表示
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- 『矢の経(Sallatha Sutta, SN36.6)』. 痛みと苦しみを「二本の矢」に喩える初期仏教の経典。Access to Insight
- 全日本剣道連盟. 剣道の理念(1975年制定). 「剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道である」。全日本剣道連盟 公式



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